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善悪について


愛するということは


責任


嫌味を言われていると感じているあなたへ


 人との会話で、「嫌味(あるいは皮肉)だな」と思うことがありますか?私はこのことをじっくり考えてみて、それは自分のひがむ心や劣等感が作り出した架空のものだという結論に達しました。嫌味など、本来存在しないのです。確かに、自分が優位に立ちたいため、あるいは意地悪な気持ちから、必要以上に指摘する人は居ます。しかしそれは、事実です。嘘ならなんの意味も持ちません。あなたに改善すべき欠点や弱点があるから、指摘されている。ただそれだけなのです。
 事実を言われて嫌味だと感じるのは、あなたがそれを欠点だと認め、卑屈になっているからです。そんなマイナス思考は捨て去り、プラス思考で受け止めましょう。逆にあなたが「これでいい」と思っているなら、堂々としていればいいのです。

 欠点や弱点を指摘されるほど、自分の改善すべき点に気付けます。もともと気付いていながら直さないままでいることも、言われるまで気付けなかったことも、指摘されることでもっと意識し、「直そう」と決断するきっかけとなります。それはむしろありがたいことなのです。指摘された数だけ成長するチャンスがあります。指摘されたことを素直に聞き、認め、それを克服することが出来るなら、あなたの人生はもっと素晴らしいものになるでしょう。

自分を象る言動


嫌味は存在しない


愛する人と二人で一つ


善悪の区別がつかないあなたへ


 善悪の区別をつけることは、時と場合によっては難しいものです。持って生まれた性質や育った環境などによって、知らず知らずのうちに「自分なりの善悪の基準」が決まっています。人はみな、自分の経験や思想を基準にして善悪の判断をしていると言えるのではないでしょうか。

 善悪の判断がつけにくい場合は何を基準にしたらいいのでしょうか。私の場合は、「人に迷惑をかけるかかけないか」を基準に判断します。人に迷惑さえかけなければ「善し」とし、人に迷惑をかけるのであれば、「悪い」とします。誤解を恐れずに言うならば、本当は善か悪かなど、あまり重要でないとさえ思っています。なぜなら、自分が「正しい」と思ってしたことでも、人に迷惑をかける場合もあるからです。善悪の基準の違う者同士が自分の「善」を主張して一歩も譲らなければ、平行線のままです。それでは何か事が起きたとき、会話による平和的解決は望めません。人に迷惑をかけておきながら自分の「善」を主張しても、誰も共感しないでしょう。世の中、自分にとっての「善」がすべてではないのです。

 何を善とし、何を悪とするかはその人の自由でしょう。善悪の区別がつかなくても、とりあえずはよしとしましょう。とにかく、「人に迷惑をかけない」。これを守ることが大切なのだと、私は思ってます。

親のお金を使っているあなたへ


 子供が親に養ってもらうのはあたりまえのことです。でも、それをあたりまえだと言えることは、とてもありがたいことですね。着る服があること、食事をすること、住む場所があること。この三つが満たされている人は、本当にしあわせです。それが普通であることのしあわせに感謝しましょう。

 親のお金は親の命。私はそう思っています。なぜならそのお金は、親の貴重な時間、体力、知力を使って得たものだからです。働いて得たお金でも、死亡により保険でおりたお金でも同じです。加えて言うなら、お金にきれいも汚いもありません。あなたのために使われるお金は、すべて親の愛なのです。そのお金を「親の命」と考えたら、大切で、もったいなくて、無駄な使い方はできません。家族のために、命を削りながら稼いでくれたものですから。命を削る、というと大げさだと思われるかもしれません。ですが「養う」「愛する者を守る」ということは、それくらい大変なことなのです。

 子供であるあなたが、その貴重なお金を頂いて使う時、何も考えないで使っていいでしょうか。どんな時に使えば良いと思いますか?

 「よりよく生きるために必要な時」

 私は自分の中に、これが基準としてあります。自分がよりよく生きるために必要であれば、ありがたく使わせてもらう。こんな風に基準を決めていれば、使うべき時と場合を判断しやすくなるのです。あなたはどうですか?「親の命」は、何気なく失っていいものではありません。大切に使いましょう。

愛する人とうまくいかないあなたへ


 あなたはありのままの相手を愛しているでしょうか?うまくいかないと感じる理由を考えてみましょう。「こんなことをするから」「こうしてくれないから」理由がもしも、「自分の思い通りにならない」ことが原因であれば、うまくいかないことの原因は、あなたの心にあると言えます。
 逆のことを考えてみましょう。相手があなたに対して不満を持っているとします。あなたは、1から10まで、すべて相手の思い通りにしてあげられますか?してあげられるはずがありません。また、何もかもを要求し、それにすべて従う(あるいは従わせる)なら、それは愛のある関係とは言えないのではないでしょうか?それならその人である必要(意味)がなく、代わりの相手はいくらでも居るのですから。あなたはあなたらしい個性が、相手には相手の、その人らしい個性があるから、お互い惹かれたはずです。

 自分の気持ちは、いつでも自分の心が決めています。しあわせも、喜びも、悲しみも。相手を変えるのではなく、まず自分が変わってみてください。相手に求めるような人柄に、あなたがなってください。相手に求める事柄を、あなたがして与えてあげてください。それが愛する人とうまくいく、まっすぐな道だと私は思っています。